平成4年度は、第6学年生が、
柳生 明君
加藤雄三君
島村和利君
コーチが舟木 豊、日野正義で、アシスタントコーチが関 政樹君、野口 栄君という42名でのスタートになりました。
必ずと言っていいほど山あり谷ありですが、この苦しい1年間を、3人でクラブを引っ張ってく
れました。もしここでクラブの足跡が途切れたとしたらどうでしょう。優秀選手についてクラブの
考えを述べましたが、クラブに勢いがあるときのメンバーだけではなく、みんなそれぞれにクラ
ブの歴史を背負っているのです。支えているのだと思います。
平成5年12月26日第1回オレンジカップを開催し、平成6年2月20日第1回グリーンカップを開催しました。ここから少しずつ、現在のシステムに形作られていきます。
「活動計画NO.121」より抜粋
ストームサッカークラブの新たなクラブの在り方を求めて、サッカースタイルを求めて、父
母会との協力関係を求めて、学校や地域との関係を求めて、これまでの蓄積と実践をより
しっかりしたものにする時かと思います。―全ての関係者の英知を集めてがんばりましょ
う。
「活動計画NO.122」より抜粋
説明会にて伝えたように、同じことを体験し、同じことを聞いているにもかかわらず、成長
大きい子やそうでもない子など様々です。なぜでしょう。間違わないでほしいのは、成長が
大きいというのは、サッカーのうまさはもちろんのこと、体力や性格面、行動面をも含めて
考えます。
さて、なぜ違いが出るのでしょう。まず個人個人の能力の違いです。次は、各保護者(父
母会員)の違いです。それは、自分の子の能力を踏まえて何を期待するのか。あるいは、
自分の子が何かを取り組むことを、家庭生活の一部に組み入れているかどうか。(特に、
父親が出てくるかどうかは別にして、考えているかどうか)。
―しっかりした個人を育むために、ストームサッカークラブを利用してください。
まだまだクラブの行く末がはっきり見えず、でもここを何とかすることがポイントだと、一生懸
命に考え、うったえていることがよく分かります。
前川少年(現FCリベルタ)の千島氏、納場小SSSの宮坂氏(岩槻ジャガーズを支えていた
コーチ陣の一人でもありました。)との交流が始まりました。
「第1回梅一FC‘78夏季交流大会」(平成8年8月12日)において優勝し、そこでの交流を
契機に、FC北野の田中氏、小菅サッカークラブの浅田氏と交流が始まりました。ジュベニー
ル白岡の田口氏との交流が深まったのもこの頃でした。上尾市長旗争奪交流サッカー大会
(平成20年7月19日)に参加し、交流の輪を広げるチャンスも与えてもらい、感謝していま
す。
第10回庄和町蹴球選手権大会町長杯(平成10年3月14日)を、久し振りの優勝で飾るこ
とができました。
第6学年
丸茂 雄貴君
鈴木雄一郎君 (かつての横川 守君と双璧をなすストームきってのパスプレイヤー)
新藤 秀人君 (とにかく動き回るチームの潤滑油)
渡辺 充也君
梅津 壮司君
土渕 貴靖君
大塚 久登君 (視力が悪いのにボールが見える不思議なFW)
島田 誠君
島田 篤君
山田 輝君
中村 輝俊君 (鈴木雄一郎君とバランスがとれる唯一のバランスプレイヤー)
古谷 拓男君 (空手をやりながら、年度途中から入部、フィットネス最強プレイヤー)
この大会、第5学年生の横川 裕紀君がシュートすれば全部得点と言えるような活躍(1年間
分のシュートを、この日のためにとっておいたんだとコーチ一同納得)がありました。
その横川 裕紀君が、第6学年生のとき
黒田 俊幸君
田中 博行君
望月 大輔君
島村 昌孝君
田中 智浩君
間中 一夫君
新谷 武蔵君
林 祐介君
第11回庄和町蹴球選手権大会町長杯(平成11年3月13日)を連覇することができました。
またこの10年度で特筆すべきことが、もう一つあります。「第32回わんぱくサッカー大会冬
の陣」(平成10年12月20日)で優勝することができたことです。
第4学年
阿部 慶介君
下安 陽介君 (ファイターでありゴールゲッター、チームの心臓)
篠沢 正晃君
小川 直樹君
小平 佑樹君 (下安 陽介君を唯一コントロールできたチームの頭脳)
間中 涼平君
前島 順君
丸茂 淳也君
土谷 洋介君
第3学年
田中 謙太君
野島 孝幸君
山内 喜紀君
立岡 省吾君
しかしながら、ストームサッカークラブは、この頃から慢性的にクラブ員不足に悩まされ始め
ます。