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ストームサッカークラブの足跡あれこれ

 

はじめに

 「足跡あれこれ」は、ストームサッカークラブの生い立ちを紹介することはもちろんのこと、クラブの想いや願いそして考えをも伝えるものです。ストームサッカークラブのアイデンティティを伝える物語です。

 事実をもとにたどりますが、すでに他界された方々がご存命のように登場します。それは今もこれからも、

ストームサッカークラブがある限り、無くてはならなかったこととして考えているからです。また思い違いも

あることと思います。また、全てを網羅することはできませんでした。

 ですからやはり、ストームサッカークラブの「歴史」というよりは、「足跡をあれこれとたどる」物語として読んでいただくことを願っています。

 

 

 

 ストームサッカークラブ広報紙「活動計画NO.1」(昭和56.5.16)を配布。クラブ員80名でスタート。

 クラブ入部の第1回説明会は、庄和町立南桜井公民館(当時は、南桜井小学校の屋内運動場として利用していました。壁はなくガラス戸。木の長イス。水野宅の横道を通ると石柱があり、そこに南桜井公民館と木の看板がありました。校舎も木造。校庭に岩石園。庄和町農協が、通りをはさんだ向かい側にあり、その裏にプレハブ2階建ての町役場があり、その2階が教育委員会でした。)

 スポーツ安全傷害保険は、当時1人340円。埼玉銀行へ用紙を持って手続きに行きました。日本スポーツ少年団の登録も浦和の埼玉県庁舎まで直接提出に行きました。(南桜井バレーボールスポーツ少年団の三枝コーチと年次休暇をとって出かけたものでした。)

 

 

 ストームサッカークラブの記念すべきファーストゲームは、「ミナミ第6回サッカー大会」(神田ミナミスポーツ主催)駒沢オリンピック公園の第1サッカー場です。電車を乗り継ぎ参加。

 

 

 参加選手 第6学年 鈴木 一也君   第5学年   本澤 隆一君

              前野一 人君            原口  武君

              宮武宏 明君            石川 和之君

              五月女雅彦君            野口 雄一君

              清水 容弘君            長  孝之君

              関  政樹君             今里 考志君

              関   豊君             下田 明博君

                                   筧田 雄一君

                                   渡辺 新一君

 

 引率コーチ 日野 正義

         舟木  豊

         宮本 正人

 

 

 船橋FC 7×0(昭和56.8.18)

 ゲームになると確信して望んだ大会でしたが、頭をガツンと殴られたような思いでした。清水容弘君が思わ

ずボールを抱え込み、アッとボールをはなし真っ赤になって、コーチも真っ赤になったゲームでした。

 

 

 埼玉県東部地区デビューはその年の秋。宮代町立宮代東小学校での代表者会議抽選会でした。日本サッカー

協会第4種登録がまだでしたがフレンドリー参加ということで、快く受け入れてもらえました。その雰囲気が

とても温かく感じられ、嬉しかったことを覚えています。

 当時、埼玉県東部地区は、「北・中・南ブロック」に分かれていませんでした。何を決めるのも何をやるの

も、常に東部地区としてオープンでまとまって活動していました。

 

 

 そのオープン具合がとても気持ち良く、今でも組織の在り方を考える時、ストームサッカークラブの原点の

1つになっていると思います。

 

 清久の丸林氏、東原氏や須賀の山崎氏、武里の新井氏、幸松の笹原氏、谷中の栗島氏など第一線で活躍され

ていました。55チーム参加。ストームサッカークラブの東部地区ファーストゲームは、

 

 清久 4×0(昭和56.10.25)

 今度こそと練習を積んできたつもりでしたが―。

 

 

 そんなストームサッカークラブに、なんと温かく手を差し伸べてくれたのが、岩槻ジャガーズの関根氏たち

でした。記念すべき第1回岩槻市会長杯へ参加しないかと声をかけてくれたのでした。この時のありがたさは、

今でも忘れられません。確か岩槻駅から会場まで、送迎バスまで用意してくれたと思います。会場は、岩槻公

園(おはやし公園)。

 

 

 参加選手 第6学年 前野 一人君  第5学年 岳  敦夫君  第4学年 筧田 信行君

           宮武 宏明君       本澤 隆一君       蔦澤 崇充君

           五月女雅彦君       島田 雅人君

           清水 容弘君       原口  武君

           関  政樹君       石川 和之君

           関   豊君       野口 雄一君

           浅井 和典君       岩井 知則君

                          今里 考志君

                        下田 明博君

                        鈴木 裕明君

                        筧田 雄一君

 

 引率コーチ 日野 正義

       舟木  豊

       宮本 正人

       藤井みつ江

       中村  操

 

 

 岩槻市会長杯は、

 岩槻フェニックス 4×0(昭和56.11.22)

というスタートでした。

 ストームサッカークラブにとって記念すべき初得点は、岩槻川通とのゲームでした。皆大喜び。とその時、

風が吹き、土ぼこりがまい上がり、おさまった時、同点にされてしまいました。終わってみれば

 川通 6×1(昭和56.11.22)

 

しかし、待望の初勝利もやってきました。

 高階イレブンス1×3(昭和56.11.23)

 このゲームでの出会いをきっかけに高階イレブンスの奥田氏と交流を持つことになります。

 

 

 杉戸西 4×0(昭和57.8.26)

 この頃、負けたとしても1,2点差というゲームができるようになっていて、さあこれからだと考えていた

時、ストームサッカークラブの前に大きな壁となったのが杉戸西の輪島氏、日野氏でした。速い強いどうして

も勝てそうな気がしませんでした。毎週の様に練習試合に出かけました。たのむほうもたのむほうですが、快

く受けてくれた輪島氏、日野氏もすごいですね。

 この時、選手引率に活躍したのが本澤運送さん(本澤 隆一君の実家)から貸してもらえたワゴン車でした。

 

 これが契機となって、ストームサッカークラブはクラブ所有の車を持つことになります。

 

 

 この頃、ストームサッカークラブのコーチが、教職員体育大会に参加していた関係もあり、幸手長倉の増田

氏、幸手上高野の川島氏そして中村氏との交流が始まります。杉戸諏訪の金子氏もこの頃でした。

 

 埼玉県大会東部地区大会で特筆すべきは、草加東のゲームです。とにかくすごいドリブルでした。草加東の

選手たちは、平気な顔をしてフィールドの周りをリフティングをしながらグルグル回っていました。

 草加東 7×0(昭和57.10.31)

 久しぶりの大量失点。ショック。ただただショク。

 

 もう1つあります。

 春日部豊春 0×1(昭和57.11.3)

 豊春の自殺点だったはずです。豊春の松田氏がどの様に思っていたかは分かりませんが、今後、良きライバ

ルとなるように感じていました。しかしながら、やがて豊春が埼玉県大会に出場するようになり、良きライバ

ルどころか、そこに埋めようもない差ができました。練習だけではどうしても得られぬ、あるところまでのぼ

りつめなければ、手に入れることができないチームの経験値があるのだと教えられました。

 杉戸西にはあいかわらず勝てない日々でした。

 

「活動計画NO.15」(昭和57.9.11)より抜粋

   1周年目を迎えて、サッカーのこと、その他クラブ員としての自覚や態度などについて、クラブ員どう

  しで伝え合うという積極性がまだ不十分のようです。自分たちが、この1年間活動してきて、困ったこと

  や失敗したなあと思い、こうすればよかったということなど、もっともっと3年生に伝えて欲しい。のん

  びりかまえて、気がついたら最後の学年だったということにならない様に。チャンスは何回もあげられま

  せんよ。

 

「活動計画NO.16」(昭和57.10.30)より抜粋

 

   (1)ボールを奪うことをいつも考えているか。

   (2)そのために1歩でも早くボールに触ろうとしているか。

   (3)相手をフリーにしていないか。

   (4)味方どうし声をかけあって意思疎通を図っているか。

  以上のことが身についてくれば、大きくストームサッカークラブが前進するはずです。

 

クラブとしての在り方やゲームづくりについて考え、十分指導できないことに悩んでいた様子がうかがえます。

 

 

 杉戸西に初めてゲームらしいゲームができました。

 杉戸西 1×1

     1×2(昭和58.8.24)

あまりの嬉しさに帰り道、クラブの車に自分の車をぶつけてしまい、ショックのはずなのにウキウキしていた

ことを覚えています。

ところが、杉戸西小招待大会で

 杉戸西 3×0(昭和59.2.11)

と、またまた力の差を見せつけられるのでした。このころワンツーからの攻撃が鋭かった春日部谷中の中村氏

にも練習試合をよくお願いしました。

 

 第1回庄和町近隣市町交流サッカー大会(昭和59.8.26)が開催されました。

    松木 隆則君

    白石 治久君(今は懐かしいウイングらしウイング)

    坂下 政樹君(サッカーは身長だけじゃないことを証明した裏とり名人のFW)

    市川 秀人君

    稲葉 好昭君

    横川  守君(今で言えば、J1に1番近いと初めて感じた、まさに選手らしい選手)

    岩井 和臣君(まさしく不動のGK。現在美容師とは)

    関口 浩司君(SSC有数の名サイドバック)

    加藤 裕司君(SSCの頭脳。本澤直也君をコントロールできる唯一の存在)

 

    本澤 直也君(SSC始まって以来のファイター)

    土屋 秋充君(現在SSCコーチ)

 第5学年には

    野口  栄君(4年生の春、予選で負けた時の大泣きが気に入ったな)

    小谷中 理君(投げれば楽にハーフ越えのGK。キックならさぞやと思うでしょう。現在SSCコーチ)

    酒井  晋君

    吉田  誠君(桜川小に転校して来て、ストームを慕って入部、活躍。現在北海道で活躍)

    金沢 裕司君

    遠藤 浩樹君

    関屋 達郎君(色黒で細いがすごく丈夫)

    小川 琢磨君(宝珠花から走って来ても息を乱さず、「では」と言ってまた家まで走って行った)

 彼らが中心となり、ストームサッカークラブを引き上げ、引っ張ってくれました。

 

 「活動計画NO.51」(昭和60.3.2)より抜粋

    今回修了するメンバーは4年生からクラブ活動を始め、最もクラブの気風を受け継ぎ、コーチの無理

   難題を乗り越えてきました。又、対外的にもストームサッカークラブの存在を印象づけ、クラブの実績

   や力を大きくふくらませてくれました。

 

クラブとしての躍動感に溢れるコメントとなっています。宮沢克行君は、まだこの頃、稲刈り後の田んぼをド

リブルしている第2学年でした。

 瑞沼の森野氏との交流も始まりました。

 

 

 岸町 3×0(昭和60.8.25)

 第11回三菱養和サッカーフェスティバル(巣鴨会場)での対戦を機に、浦和岸町の今井氏との交流が始ま

ります。今井氏にどんなことがアピールできたのか定かではありませんが、場面をあげるとすれば、稲波 勇

茂君が相手ゴール前まで攻め込み、倒れた。そのそばをボールが転がっていたとすると、彼は立ち上がるため

に時間を使うより、はったままゴールにボールを押し込もうとしました。ストームサッカークラブにとっては、

それが当然という雰囲気のチームだった。そんなところが、アピールしたと推測します。

 

 技術は確かに必要ですが、ボールの奪い合いというか得点の奪い合いというようなゲームが少なくなってき

ているように思います。サポーターたちにうまさを見てもらいたいのか、それとも意気込みをみてもらいたい

のか。何がサポーターたちに感動を与えるのでしょうか。ストームサッカークラブは、いつもゲームの原点に

立ち帰ることが、必要だと思います。

 

 それでもなかなか、後もう1歩で埼玉県大会という壁が乗り越えられませんでした。

 岩槻フェニックス 1×0(昭和60.11.3)

 

 

 越谷FC 3×0(昭和61.2.2)

 結果、春日部市招待サッカー大会において第2位になりましたが、この大会の中で、

 青木中央 0×1(昭和61.2.2)

予想に反し、勝利をおさめ、川口青木中央の滝沢氏と交流が始まりました。大宮西の柳沢氏、草加瀬崎の阿部

氏との交流が始まったのもこの頃でした。

 

 久喜朝日 0×0(昭和62.5.24) PK戦負け

 またしても、全日本大会埼玉県大会出場へ後1歩のスタートでした。

    斉藤 英樹君

    加藤 和秀君(双子の兄弟)

       知明君

    滝沢順一郎君

    須藤 吉崇君(キャップテンらしいキャップテン)

    金子 和弘君(小谷中 理君以来のGKらしいGK)

    土屋 紳次君

    竹内 正人君(賢いサッカーができた)

 

    東  浩 君

 第5学年には、

    宮沢 克行君(プレイは柔らかいのに何故か体はかたかった)

    川田 正人君(宮沢 克行君と対をなすプレイヤーで、低く速いセンターリングはSSC好み)

    三輪 和生君(流れにアクセントをつけることができた)

    清水 良浩君

    石川  剛君

    伊藤  明君(2年間とうとう足立区から通い通したガッツとパワーの持ち主)

    小林 真樹君

    栗田 知昭君(とにかくとっても真面目)

など多くのタレントがそろい、ストームサッカークラブの成長を、さらに進めてくれたのでした。

 彼らを擁して、今やメジャーな大会として発展した第1回清水カップ(現全国少年少女草サッカー大会)に

遠征しました。堀井 信吾コーチと2人で、須藤 吉崇君のお宅で用意していただいたサンドイッチをパクつ

きながらクラブの車で出かけたことも、懐かしい思い出です。

 

 

 第1回ST CUP(昭和63.4.10)がスタートしました。第1回優勝チームは、岩槻ジャガーズでした。

本大会は、第5学年を対象とし次年度に向けての選手育成と審判員の育成。またお世話になったチームへお礼

としてのゲームの「場」の提供。さらにストームサッカークラブがそうであったように、本大会への参加が契

機となって参加チーム間での交流が始まれば、願ってもないことだ。という思いから始めました。

 本大会は、第23回ST CUP(平成22.3.27現在)を迎えようとしていますが、3回優勝をしてSTカ

ップを保持しているチームは、「瑞沼スポ―ツ少年団」と「八潮中央サッカースポーツ少年団」の2チームの

みです。本大会は、4つの予選大会(リーグ戦方式)の各優勝チームとストームサッカークラブの5チームで

決勝大会(リーグ戦方式)で競うものです。

3回優勝するということは大変なことなのです。さらに1回目、2回目の選手たちは第1位となっても、そ

の努力の証としてのカップを、手にすることができないのです。確かに、自分の努力の結果は欲しいと思いま

す。その結果を、自分だけに集約するのか、共有することができるのか、つまり、3回目を目指す仲間に自分

たちの夢を、証を託すことができるのか。

チームを1年間という断片として捉えるか、過去―現在―未来という連続として捉えるかということだと思

います。連続として捉えるからこそ、「支援―維持―育成」(サポートの必要性)がでてきます。

 

 

 第3回片品武尊高原少年サッカー大会に参加しました。宮沢 克行君のご両親が宿泊場所を下見に行ってい

ただいたり、夜は夜でストームサッカークラブの将来について遅くまで話し合っていただいたり、活気溢れる

夜だったようです。(コーチはグーグー夢の中)。

 大宮早起きの吉田氏との交流も、この頃始まっていました。

 

 

 第1回庄和町蹴球選手権大会(平成1.3.12)が開催されました。庄和町NO.1を決める大会です。様々

な思い出や願い、そして熱気のこもった大会でした。しかしこの大会は、春日部市との市町合併にともない、

第18回(平成17.3.11)ストームサッカークラブの優勝をもって、終了することになりました。大会

の命名から運営まで、庄和町各チームの協力と競い合いで続けてきた最後の大会を、優勝で飾ることができ、

とても感慨深いものがありました。

 

 

 この夏の第4回片品武尊高原少年サッカー大会(平成1.8.18)で、蔦澤 岳君が「ベスト11」に選

ばれました。ストームサッカークラブにおいて、「個人賞」を持っているのは、彼だけではないでしょうか。

 そもそも、ストームサッカークラブにおいては、優秀選手という概念を持っていませんでした。優秀選手一

人でゲームがどうなるものでもありませんし、得点をした選手と得点を防いだ選手とどちらが優秀選手かと問

われても、全てが必要でした。と答えるしかありません。しかし、この価値基準は、ストームサッカークラブ

のものです。ですから、クラブ外からの評価に対しては、とてもありがたいことですし、名誉なことです。そ

のような「個人」を育成できたということは、ストームサッカークラブとして誇りでもあり励みともなります。

 

 

 

 

 

 個人を賭けて得点を競い合うゲームができるプレイヤーの育成。

 サッカーと夢を愛するサポーターの育成。

 

 

 これは、ストームサッカークラブのチーム紹介です。この紹介の中に、どの様な理想や願いが込められてい

るのでしょうか。もう少しお付き合いください。

 

 

 個人を賭ける

 

 

 ゲームを個人の技術や判断力、体力それらをバランスよく融合する知力。それを引き出す意欲の強さ。それ

をコントロールする正義感や自律心。つまり人間性というか人格というようなものの競い合いと考えます。

 シュミレーションをやってもチャンスを得ようとする個人もいるでしょう。それを恥と思うかどうかだけで

す。倒れそうになりながら倒れないで、最後までゴールをねらう。個人のプレイひとつひとつに、個人が有す

る力(人間性=人格)が表れると考えています。個人が問われる連続がゲームです。

 

 

 得点を競い合うゲーム

 

 

 ストームサッカークラブのゲームにおける基本姿勢です。

 

 

 サッカーと夢を愛するサポーターの育成

 

 

 「夢」が、実現できるかどうかということで計ろうとしたり、メリットデメリットで計ろうとする考えもあ

るでしょう。しかしあえて、サッカーを軸として、「夢」共に追いかけること。「夢」を持つこと、持てること。

そして、「夢」そのものやそれを目指す活動や集団を支えることそのことをも「夢」として考えられることが

できないだろうか。

このよう考えているクラブもあるということを広くうったえたいのです。

 自分たちが応援し支えるクラブから、ワールドカップで活躍するプレイヤーを送り出す「夢」。あるいは、

様々な「夢」を持つ人々が、互いに輪を作ることができれば、すばらしいことだと思います。サッカープレイ

ヤーより、はるかに多くのサポーターの存在がなければ、サッカーが文化として定着することができないと思

います。

 

「活動計画NO.91」(平成1.4)より抜粋

    4月1日より平成元年度の活動がスタートいたします。この1年間は様々な意味でクラブにとって、

   大きくそしてより確かな組織体として固まるかどうかの1年でしょう。誕生以来8年間、大きな問題も

   なくやってまいりましたが、クラブ員の減少傾向やコーチ関係者の変動など、学校―クラブー地域の関

   係をしっかりしたものとしていかなければなりません。

    クラブOBあるいは父母会OBの関係をさらにしっかりし、地域からのクラブ員の確保と応援が、今こ

   そ必要とされるでしょう。幅広く一歩ずつ広がりのあるクラブになるように努力してまいりますので、

   ご協力ください。お願いいたします。

 

 

 平成4年度は、第6学年生が

   柳生 明君

   加藤雄三君

   島村和利君

の3名で、コーチが舟木 豊、日野正義。アシスタントコーチが関 政樹、野口 栄でスタートしました。

 この苦しい1年間を、3人で引っ張ってくれました。もしこのとき、ストームサッカークラブの足跡が途切

 

れたらどうだったでしょうか。

 優秀選手についてのクラブの考えを話しましたが、今までのクラブ関係者一人一人が、ストームサッカーク

ラブを等しく支えてくれたと考えています。

 

 

 サッカーを愛するみなさん、ご機嫌いかがでしょうか。

 

 これは、かつて三菱ダイヤモンドサッカー(岡野俊一郎氏解説)の冒頭で、金子勝彦アナウンサーが、必ず

言う台詞でした。

 自分自身の今日までは、この言葉に支えられ背中を押してもらってきたと言ってもいいかもしれません。

 

 

 「SSCサポーターへの案内文」より抜粋

    いつも応援ありがとうございます。創立26年目を迎え、クラブとしての最後の夢を模索しています。

 

    もうゲームに参加する学年だけで負担するという考え方では対応できません。

 

    本当にメリットがなければいけないのでしょうか。

という疑問です。メリットはいらないと言っているのではありません。まず始めにメリットがこなけれ

ば何もできないのでしょうかと言っているのです。

    あかちゃんをわたしたちは、どのようなメリットで育ててきたのでしょうか。クラブを見守り支えて

きたわたしたちはどのようなメリットが欲しくて活動してきたのでしょうか。

    夢を託すことはメリットのひとつにならないのでしょうか。

    クラブ活動を、サポーターの寄付とボランティア活動で支えて維持することができないでしょうか。

ストーム関係者はもちろんのことサッカーに関心のある人、このような活動形態や集まり方に賛同でき

る仲間を募りましょう。

    目標 年間登録費3000円×サポーター300人

    願わくば、ストームSCが他のクラブの指標としてその存在を示せることを願っています。

    思えば、あの公民館を兼ねたプールのそばの小さな小さな体育館で産声を上げたときから、こんな

人々の集まり方が心の奥に「夢」としてあったのかもしれません。そのための26年間なら満足です。

 

 サポーター年間登録費は現在受け付けておりますが、広く呼びかける準備ができましたら、案内をホームページ上でお知らせします。

 

 

 

 それでは

 何かを愛することを知るみなさん

また「物語」の続きが語れることを願い、一度「足跡あれこれ」を閉じたいと思います。

 

 

練習場所:南桜井小学校

 

 

 

練習日: 土・日・祝日

午前練習:09時~12時

午後練習:13時~16時

(夏季、冬季で若干時間が変わります)


 

地図

ストームサッカークラブ Storm soccer club 

 

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